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商人 #35

老若男女から70年以上支持される至高の魅力

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​食堂 やまと

厨房の旅人2代目・3代目

 大将 (二代目)大和信一
若大将(三代目)大和裕一

STORY

ソウルフードを超えた存在

食堂「やまと」の味は今さら語る必要のないほど、人口に膾炙(かいしゃ)している。岡山の人々に愛され、全国にも多くのファンがいる。岡山人にとってはもはやソウルフードを超えた存在で、おふくろの味のようなどこか郷愁を覚え、ノスタルジーに浸れる心の拠り所と言える。

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手に入る食材で、「手に入らない味」をつくる

「やまと」は中之町商店街の一本東を走るオランダ通の一角にあり、昭和23 年、先代の大和衛実さんが創業した。衛実さんは戦前、国鉄の日本食堂でコックをしていたが、徴兵で中国に渡りそこで経験を買われ、日本軍将校のまかない係を務めていた。中国の北から南へと日本軍の進軍に合わせ、その場で採れる食材を集め、現地の調理法も取り入れながら料理をしていた。これが後に「やまと」の味の原点となる。最後はボルネオ島から無事帰還し、この中之町に小さな食堂を開くに至った。

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昭和23 年と言えば、敗戦後間もない時でGHQ の統治下にあり、品物がそれほど流通しておらず、お米も闇市で買うなど、手に入る食材が限られていた時代。もちろん高級な食材などない。しかし中国での従軍時代の経験が役に立った。欲しい食材がないからとあきらめるのではなく、できることを最大限やる。手に入る食材で出汁をとり、創意工夫を凝らし味を付け、盛り付けた。これが意外にも好評だった。この状況で手に入った何気ない食材が、魔法にでもかけられたかのように、格別でなかなか「手に入らない味」へと変身していったのだ。このベーシックでシンプルな料理法は「やまと」の真骨頂と言え、70 年以上も続く「やまと」の秘訣かもしれない。

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先代の背中を追う

二代目になる大将の信一さんが、先代の下に入ったのは東京の大学を卒業後すぐ。ちょうど全共闘による学生運動が一番激しい時代だったということもあり、半ば強制的に岡山に戻されたと言う。先代は「見て覚えろ」というタイプで、父親の背中を見ながら、そして感じながら勉強していった。このやり方は三代目である息子の裕一さんに対しても踏襲した。裕一さんは調理師専門学校で調理師免許を取得後、勤務していた店を辞めたきっかけで「やまと」を手伝うことに。当時は流れが半分、自分の意思が半分だったと言う。信一さんは無理に継がせようとは思わず、裕一さんが手伝うとは言ってくれなかったら「やまと」は閉めてもいいとさえ思っていたようだ。「貸し家と唐様で書く三代目」と言われるが、当然どこ吹く風。物静かな裕一さんは父親の背中を見ながら、感じながら、そして追いながら「やまと」の味を滔滔と継承しているように映った。

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日々できることをするだけ

休日はもちろん、平日のお昼を過ぎても長蛇の列をなすこともしばしば。信一さんが継いだ当時から行列ができていたと言うが、愚問を承知でなぜ50 年以上も行列ができ続けるのか?と尋ねてみた。意外にも「どうしてでしょうね、お客さんに聞いてみて。」と、やはり愚問だった。「強いて言えば、我々はできることをするだけです。手抜きしないでその日できる最高のものを作る。
この50 数年、特に変わったことはしていないです。」

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半世紀以上同じことを続けることは、体力に加えて、気力も要する至難の業だが、「あまり余計なことを考えないことが秘訣かもしれません。」と大将。人は成功すると次の高見を目指す名目でどうしても欲や色気を出してしまいがちだが、そうした邪念での欲や色気を出さずに本業一筋、一心不乱に邁進してきたと言うことだろう。
「途中で他の仕事をしたいと思ったことはないですか?」とも尋ねてみると、「自分はこれ以外ほかに才能もないし。休みは週一だけど不満もない。昔はそれが普通だったから。それより妻の方が大変だったと思う。ここに嫁にきてからずっと手伝ってくれているからね。」とはにかみながら長年苦労を共にされている奥様を気遣い、そして感謝していた。

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普通の食材を使って、いかに他店とは違う味を出せるか

一方、裕一さんは、当時のコロナ禍ということもあり、自宅でも「やまと」の味を味わってもらえるよう、冷凍中華そばの通信販売を始めるなど、新たな取り組みも行っているが、三代目としてこれからも「やまと」の味を変わらず残していきたいと語った。
「『やまと』のスープの出汁はけずり節と昆布でとるなど、決して特別なものではなく至ってシンプルなんです。ただ量をたくさん使っているので、決算期には税理士さんから『仕入れ価格が高すぎる』と注意されるんです。(笑)肉もブランド品とか高級なものではなくスーパーで売っているような普通の食材を使っています。ただそれら普通の食材を使って、いかに他店とは違う味を出すかと言うのが『やまと』のスタンスであり立ち位置なんです。それが『やまと』の70 年以上続いている歴史的な意義かもしれません。」

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高級な素材に味を加え、高価で提供することはある意味簡単かもしれない。普通の食材をいかに美味しく調理し、しかもできるだけコストを抑えて提供できるかと言うのは料理人としての技量と器量の見せ所であろう。創業者衛実さんのスピリットが確実に三代目にも受け継がれている。

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「大・中・小」あるので、何種類も食べて!

また「やまと」では人気メニューである「中華そば」とデミグラスソースの「デミカツ丼」をはじめ多くのメニューで「大・中・小」のサイズがある。一人で来店しても中華そばとデミカツ丼とチャーハンのそれぞれ「小」を頼めば3 種類食べられることも「やまと」の魅力の一つであり、大将の「おススメ」でもある。

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ケ(日常)の美食処

「誕生日や結婚祝いなど年に数度の「ハレ」の日にしか行かない高級なお店もあるけど、うちは日常の生活の中で、常連さんをはじめ、OL やサラリーマン、学生さんやご家族連れに楽しくお腹いっぱいに食べてもらいたいんですよ。」と大将。「やまと」はいわゆる「ケ(日常)」の美食処なのだ。
確かに日々の行列は、老若男女問わず幅広い世代の人たちで成されている。「最近は特に昔からの年配のお客さんや常連さんだけでなく、SNS などで若い人たちの間にも広がってきています。」と裕一さん。真底美味しいと感じる味覚は年齢も性差もましてや地域も問わない。

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同じことを日々繰り返しながらも進化している

だからこそ人は味に関して本当に厳しく、うるさい。人の三大欲求の一つである食欲に関する味覚は五感の中でも特に厳しい評価を下す感覚かもしれない。そうした難関をいくつも潜り抜け「やまと」は70 年以上たくさんの人の舌を巻き、そして岡山の町でたくさんの人から愛され続けている。普遍性ある味で、お年寄りだけ、若者だけ、ましてやグルメの人たちだけに支持されてい
る訳でなく、幅広い層の支持を70 年以上得続けていることに「やまと」の至高の魅力を感じる。
それは創業者衛実さんの味を、二代目信一さんと三代目裕一さんがそれぞれ、同じことを日々繰り返しながらも着実に進化させている歴とした証である。

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SHOP INFO
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  岡山市北区表町1-9-7

 

【Tel】086-232-3944

営業時間】11:00 ~ 19:00 

【定休日】火曜日

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田中 雄一郎

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PLUS

田中 園子

Photographer

クオデザインスタイル代表
グラフィックデザイナー/ブランディングディレクター

1975年岡山市生まれ。立命館大学理工学部卒業後、都市計画コンサルタントを経て、2004年QUA DESIGN style設立。同時にデザインを独学。
現在岡山を拠点に北は北海道、南は沖縄まで、教育・医療機関、公共施設、美術展、交通、建築・建設、農業、アパレル、町など様々な分野のブランディングを手掛ける。
主な仕事に岡山大学シンボルデザイン、倉敷市立短期大学ロゴマーク、福武教育文化振興財団CI、琉球大学医学部附属病院関連プロジェクト、まび記念病院、
宇野バス、岡山後楽園バス、蜂谷工業のVIなど。主な賞に東京TDC賞PrizeNominee、JAGDA賞ノミネート、東京ADC、世界ポスタートリエンナーレトヤマ入選など。
共著に「ロゴデザインの現場-事例で学ぶデザイン技法としてのブランディング」(MdNコーポレーション)

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