商人 #1
侘び寂びを和菓子に宿す
気持ちがぐっとくる菓子づくり
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栄太楼菓子舗
和菓子職人
近藤 健
STORY
大正5年創業。「表町は信用につながる」
県庁通りから50メートルほど商店街を北に向かうと左手に閑静な店構えの和菓子屋が見えてくる。創業は大正5年。少々奥に入ったガラス越しの工房で黙々と手を捏ねている現店主の近藤健さんで3代目になる。創業から戦前までは上之町で営業、その後下之町、現在の天満屋入口辺りに移転し、天満屋の拡張計画によって現在の中之町へ。いわば表町を知り尽くす生き字引と言える。
「中之町は町の雰囲気が落ち着いていて、馴染みのお客さんも多い。中之町で商いを営んでいるといえば信頼、信用がある。」と近藤さんは言う。400年余りの歴史があり由緒ある表町という場所の信頼性はいまなお健在である。
東京日本橋「榮太樓總本鋪」から暖簾分け
店名の「栄太楼」は先々代の創業者が生まれ故郷である津山市から東京に出て、日本橋の榮太樓總本鋪で修行を積んだ後、暖簾分けで岡山に店を構えたことから命名された。そもそもその「栄太楼」とは、江戸時代末期、細田安兵衛(幼名栄太郎)が日本橋の袂に屋台を開いた。栄太郎が焼くきんつばは「大きくて甘くて美味しい」と評判を呼び、その噂が江戸中に広まった。やがて独立の店舗を構え、自らの幼名栄太郎にちなんで屋号を「榮太樓」と改めたようだ。
いかにセンス良くデフォルメするか
現在の「栄太楼」の看板商品は「和菓子」に移行している。朝作って晩には食べてもらう「朝生菓子」。2月3月は桜餅。4月5月だと柏餅、いちごあればイチゴ大福。と季節に合わせて作っている。
和菓子職人として常に四季を考え、お茶席のお軸、茶器などの場面を想像しながら和菓子を作り続けてきた。
また近藤さんが自ら芸術作品として作っているという御所の庭、吉野桜などの薄色鮮やかな生菓子達。弾力と粘りが適度にあるもっちり感に、甘すぎない頃良いあっさりと上品な漉し餡。桜、紅葉や庭などの象りでは、「いかにセンス良くデフォルメをするかが重要だ。」と近藤さんは言う。「そのままの形で作っても侘びも寂びもない。お客さんが目にしたときに、気持ちがぐっと引き付けられるような形を自分で考えて作っている。その感覚をつかむのは何年経っても難しい。」と続けた。
生菓子のセンスで店の良し悪しがわかる
生菓子のセンスを見れば、その店の良し悪しはわかるという。こうした創造性豊かな技を持った職人が岡山には少なくなって来ているようだ。現に近藤さんの後を担う後継者がいない。それでももうすぐ80歳を迎える近藤さんは今年も新しいデザインに挑んでいる。
SHOP INFO
Text : Yuichiro Tanaka / Photo : Sonoko Tanaka